『私が詩人になった訳。』
はい。『過渡期ナイト』レーベル代表の死紺亭柳竹です。
私に限らず、詩人になる人間というのは、詩神(ミューズ)に魅入られた人間である。私の詩人の定義は、だから『その人間だけが書ける詩を書く人物』である。そういう人間は、確かに”詩人”としか定義しようがない。
そういう按配だから、『私が詩人になった訳』は、”私にしか書けない詩が生まれ出したから”だ。
詩人になるというのは、だから偶発事故みたいなもんなのである。
でも大抵の職業というのは、そういうものかも知れない。
このあいだTOKYOポエケットの打ち上げでしげかねさんが私の説明と写真を一緒にアップしてあるインターネットのサイトを知人と見ていたら、そのひとは、私に大学時代に詩の授業の助手として、私から教えを受けたこともあるひとだったらしい。ま、某W稲田大学ですけれども。
その助手時代に、私は詩人になったのである。
要するに、私はたくさんの詩に触れて、それを読んだ。読んだから、書くようになった、これは自然な流れだろう。
詩集『アメリカ小説全集』は、最初から、このタイトルありきで書かれた。
その意味では、私のなかのポエジーは、このタイトルに集約されていたのだった。
だから、この詩集は19篇で通読されて、はじめて意味があるように構成されている。
あの詩集を書いていたのは1999年の夏だった。
ノストラダムスの大予言が見事に外れた年だった。そして、あまり誰も言わないがノストラダムスは詩人だ。
ある種の詩法が無効になった年に書き上げた詩集、それが『アメリカ小説全集』。そうして私は詩人となった。
その詩集がアップされていく公式ページ『過渡期ナイトon the web』はコチラです。
http://katokinight.fc2web.com/
それでは、みなさんお楽しみに。また。