『ロンドンのテロリズムに、想う。』

はい。『過渡期ナイト』レーベルオーナーの死紺亭柳竹です。

ロンドンのテロリズムに関しては、ただただ「また、こんな惨事が。」と呆れ、ひとしなみに「テロはよくない。」という紋切り型のせりふを想うのみです。但し、その紋切り型が、一体どこまで”紋切り型”の強度を現在持ちえているのか、というのは考えないといけないと思うのです。

アメリカが「テロに対する戦争」ということばを使い出して相当時間が経ちますが、しかし、これは明らかに語義矛盾な訳です。”戦争”は国家間の問題であって、テロリズムはその間欠泉のように噴出するものなのだから、”テロ”に対するのは、飽くまで”報復テロ”でしかなく、それを”戦争”と呼ぶのは、ありふれた詐術にほかなりません。

ぼく自身は極めてまっとうな保守主義者です。詩作品から誤解をうけることも多々ありますが、それは逆に言えば、如何に誤解をするひとたちが、私の詩作品を読めていないか、もしくは自分の欲望に忠実に誤読しているかの証左なのではないでしょうか。
ぼくの詩作品は喜劇作品として仕上げられていますが、しかしリ−ディング発表を重ねるたびにそれは笑いの領域と言うよりは、むしろシリアスな領域として、観衆に受容されるようになっていった、という体感の実感があります。

笑いが笑えない、ということは、よほど切羽詰まった心理状況に、この9・11以降の世界が置かれているということでしょう。
またぼく自身も、自分がシリアスなものを書き、上演している意識は常に明晰に保つようにしています。

ぼくの最初の詩集のタイトルは『アメリカ小説全集』(完全限定私家版:1999年)と言いますが、そもそもは反語として試みられたこの作品集のタイトルが今日的状況では切実なリアリティーを帯びてきた、というのも、ぼく自身の詩人的な預言者の側面を感じて、薄気味がわるい気さえします。
もちろん、すべて本質的な詩人とは、そのような側面を持つものですが。

ぼくの詩作品が読める『過渡期ナイト』公式ホームページは、こちらです。
http://katokinight.fc2web.com/
『裏切りポッキー』『あらかじめ失われたBEATのために』『スーパーラッキーストライク』の3篇は、特に、今日のアメリカ社会への批判足りえている詩作品だと自負しています。

それでは、失礼します。