『こんな夏日には、旅日記。』

ふぅー。暑い。『過渡期ナイト』レーベルオーナー・死紺亭柳竹です。

過渡期ナイト』レーベルメイトに服部剛くんという詩人がいらっしゃるのですが、そんな彼と去年の夏にした旅の日記を再録します。

『Poets On The Road'04』大阪公演

birth mark words(千明史個人企画)の全国4都ポエトリーリーディングライブ。
現在も続行中。イベント公式ページは、こちらである。
http://mypage.naver.co.jp/paorett/chori/potr.htm

これは大阪公演の出演者の視点による、レポートであり、ドキュメンタリーである。

以下は「過渡期ナイト」レーベルのオフィシャルサイト「死紺亭兄さんの妹連合」からの拙文の転載です。
http://www.e-mile.com/cgi-bin/view_bbs.cgi?c_id=0684

2004年8月6日。
夜の9時、新宿アルタ前で、剛くんと待ち合わせ。
ちょっとぼくのほうが、はやく着いてて。
ま、ぼくも剛くんも、携帯を持たないライフスタイルなので(モノは言い様☆)、こういう約束ひとつが、大切なんだよね。
無事、剛くんと落ち合って。ハイタッチで、沈黙の信頼関係の確認をして。

それから、新宿の夜間高速バス乗り場に。
出発まで、まだ時間があったので、コンビニ行ったり、待ち合わせ場所でオシャベリしたり。
そう、予約したバスが、まだ出来たてのバスで、「○○号」という便名のない車両だったんだよね。
「吾輩はバスである、名前はまだ無い」状態で。
だから「過渡期号」と、勝手に命名致しました。。

「過渡期号」のなかで、薬を、多めの水で飲んで。
なんとか、睡眠を、確保して。
2004年8月7日。
バスは、朝の6時に、大阪の梅田に着きました。

でね、正直、やることないんだよね(爆☆)。
大体会場入りは、夕方16時の予定だし、お店だって、そんなに開いてないしさ。

で、剛くんと、「過渡期ナイト」ワークショップでもやりながらってハナシで、たまたま開いてる梅田のサテンに入って。
うんでさ、これ、あとから剛くんが調べてくれたのですが、そのときは全然意識してなかったこのお店の名前が、かなり象徴的で。
曰く、「ピエロ・ド・ピエロ」。ずばり”道化師の中の道化師”って意味ですよ。
わおっ。この瞬間から、”笑いの神様”が降りてきていたのかもね。

で、そのサテンを出てから、近くの公園行こうって。
でも全然近くなかったんだけどさ。
さすらいの果てに辿り着いたのが、「西天満公園」。

いやー、この公園は、濃いエピソードが満載だったなー。
単に、詩人ふたりがダベッてるというレベルは超えてしまっていたなー。
ひとつ挙げると、公園の護美箱に、クズを捨てに行ったら、何でか知らないけれど、六法全書が捨ててあったんだよね。
で、気になるから拾って、剛くんに見せたら、詩にするから、死紺亭さん、どっかページ開いてって。
で、ぼくがページをめくると、出てきた法律が「破産法」(爆☆)。このエピソードひとつだけでも、炸裂しているでしょ。
でも、このクラスの逸話が、この公園だけでも、かなりあったんだよね。どうなっちゃってたんだろ。
あ、六法全書は、元あった場所に戻しましたよ。

で、濃い時間過ごして、それでも、まだ朝の9時ぐらいか。
兎に角、移動してたら、道の途上に「竜王神社」という場所を見つけて。ふたりで参拝しました。
でも、何の謂れもなかったんだよね。どんな霊験があったんだろう。でも、ご挨拶は、大事だからね。

で、まぁ、歩いてるうちに、天神橋4番街の商店街ってトコロにたどりついて。
最初、その「4番街」の「4」が「千」に読めたんだよね。ほら、ちょりくんは、千くんだから。
だから、剛くんとふたりで、まっすぐ歩きながら、「千の道の果てに待つのは、果たして空虚か?」とか、訳のわからないことばっかり言ってたんだよね。
途中、ぼくのつけてた、友だちのバンド「わがままな月」のバッジが落ちて、胸のポケットにしまったの。
そしたら剛くんが、「お、死紺亭さんのわがままが落ちて、胸にしまわれたか。」だって。
やっぱ、剛くん、詩人だね♪

そして4番街を抜けて、6番街、ぼくたちを待っていたのは、「空虚」でなくして、「大阪くらしの今昔館」。
リュウチクmeetsコンジャクですか。

ここでは、剛くんとふたりで、ものすごく勉強させて頂きました。
大阪の、江戸でいうと天保のころの街並みが再現されていて。
随所で、人間国宝桂米朝師匠の語りも聴けたり。
米朝師匠は、父と師を早くに、しかも両者とも同じ年齢で亡くされた方で。享年五十五同士だったかな。だから師匠も、その年齢はかなり意識したらしいんだよね。
ぼくも祖父と父が、同じ享年五十四歳なので。やっぱり考えるけれど、師匠のように、生き抜いた方の声の響きに触れると、それだけで勇気が出る。

大阪の昔の街並みを体感したあとは、企画展の『おもろうて 怪態なこと ー戯画・滑稽画の系譜ー』。
これは、もう死紺亭に見せろ、と言わんばかりの展示内容だったなー。
これは漫画『のらくろ』の作者として有名な、そして手塚治虫氏が「心の師」と仰いだ田河水泡氏が収集した「滑稽」研究の資料を、彼が晩年住んだ町田市に寄贈されていて、その貴重な資料の展示で。

田河水泡氏の人生も凄いよ。
軍隊・日本美術学校図案科・抽象画団体MAVO・落語作家、エトセトラ、エトセトラ。
この経験が『のらくろ』に結実するのが、三十二歳だからさ。剛くんとふたりで、俺たちもこれからだよ、って言い合ったもん。
田河水泡氏の生き様が、たとえば、ぼくの目指す「喜劇人」の理想のカタチのひとつなんだよね。

展示そのものも、すごく面白くて。ぼくの仲間内で言うと、タロウさんが歓びそうな図案がいっぱい☆
やっぱ、日本人の「滑稽」のセンスはすごいよ!
「大阪くらしの今昔館」の公式ページは、こちらです。
http://www.city.osaka.jp/sumai/museum/

で、たっぷり勉強して、ようやく世間的なお昼の時間で。
6番街の「コロンボ」という、これまた死紺亭的にはナイスな店名のサテンでランチしました。

で、ゆっくりして、地下鉄で調べたら、会場の大阪ココルームまで、一本なのね。大阪、堺筋線の「動物園前駅」まで。それで一路、目的地へ。

それでさ、おいら行くまで、ココルームさんが入ってる、フェスティバルゲートが何の建物なのか、よく分かってなかったのね。
そしたら、あなた、フェスティバルゲートは、建物のなかにジェットコースターまで走っている一大アミューズメントパークでは、ありませんか!!!
百聞は、一見に如かずとは、まさにこのこった。
大阪フェスティバルゲートの公式ページは、こちらです。
http://www.festivalgate.co.jp/

それで、取りあえず、ココルーム店内に。
ちなみに、この時点で、まだ14時ね(爆☆)。

やさしいココルームのカフェの店員さんに、しそジュースを頼んで(コレがおいしいんだよ。。)、店内散策。
詩書も充実しているし、イベントのステージも、奥行きがあってすごくいい。
実際、マイム俳優のいいむろなおきさんもステージを踏んだりしているようだし、とても贅沢なステージです☆

そんなこんなしているうちに、上田假奈代さんがご登場!
深夜の高速バスでの移動を気遣ってくださって、とてもありがたかったです。
かなよ姐さんも、ハードスケジュールで、多少体調を崩されているようだったのに、矢張り姐さんは、ちがいますわ☆
大阪cocoroomの公式サイトは、こちらです。
http://www.kanayo-net.com/cocoroom/index.html

んで、まぁ、意外とイロイロこなしているうちに、ようやく16時。ちょりさんやスタッフのみなさまが会場入りされました!

さて、と。ここまでが第1部。
”Poet On The Road'04”物語は、まだまだ続く。
公式サイトは、こちらです。
http://mypage.naver.co.jp/paorett/chori/potr.htm

では、また明日ね♪

と、以上が再録です。濃いでしょ。
みんな続きが気になると思うので、終わりまで続けてみようっと。
死紺亭柳竹ってどんなひとか、結構判るよ。

さーて、好調の公式ページ『過渡期ナイトon the web』はコチラです。
http://katokinight.fc2web.com/

それでは、また。明日ね☆