『木村カエラは、一朝一夕にならず。』

と愚考する、『過渡期ナイト』レーベル代表の死紺亭柳竹です。

ぼくの読みだと、川本真琴が切り拓いた地平があって、そこを椎名林檎さんがナース服で蹴りを入れて、やっと木村カエラがフラットにやってくる。そんな流れがあるんじゃないか、と。

やっぱ先人は大事ですよ。ポップカルチャーって、そうやって日々形成される訳だから。

そんな眼を持つ死紺亭柳竹が去年の6月のレポートのお蔵だし。ポエトリーのカルチャーの形成の一事例ですね。こちらだ、うりゃ☆

死紺亭柳竹  投稿日:2004年06月16日(水) 20時20分

以下は「過渡期ナイト」レーベルのオフィシャルサイト「死紺亭兄さんの妹連合」からの転載です。
http://www.e-mile.com/cgi-bin/view_bbs.cgi?c_id=0684

はい。
2004年6月12日の土曜日に、オープンマイク・リーディング・イベント「コトバコ」が、文京区白山のJazzSpot映画館で行われました。

JazzSpot映画館はさ、白山神社への参道の入り口にあるのね。神社では、ちょうど”風物詩”のあじさい祭りが催されていました。

陽気もいいなか、そんな白山に詩を読みにきた詩人たちのなかから、死紺亭の印象記を。

紀ノ川つかささん。ここのところ、福島泰樹さんの作品朗読をされている印象が強かったですが、今回は自作詩。ただ、その作品の印象も、古風な情念というものがあって、他者の作品を通過するって、こういうことなのかな、と思いました。
死紺亭の直前に朗読したのが吹雪さん。SSWS(新宿スポークンワーズスラム)以来の因縁の組み合わせか!? でも、吹雪さんが、しっかりと読んでくれたおかげで、死紺亭も、良い具合にエンジンにドライブがかかりました。

村田活彦さんは、よかったね、またもや! 死紺亭は、彼のファンですよ☆ 作品名は「政治的なポエム」。兵庫にルーツがあるらしい彼のなまりと、作品の結論を避けながら蛇行していく感じが、とてもポエムなんだよね。ま、優柔不断なら、誰でも詩人になれる訳では決してないので、やっぱり稀に見るポエジーがあるんだろうな。

「死紺亭兄さんの妹連合」から一時期JazzSpot映画館で詩を読んでくれていた三木昌子も、兵庫出身で、ま、彼女は詩を朗読するのは現在やってないけれど、作品には確実に方言のうねりが思想として出てきて、それは面白いな、と思います。彼女は、いま中原中也賞受賞の久谷雉さん主宰の「母衣」という詩誌に、服部剛さんたちと参加していますね。

話を戻すと、村田活彦さんの優柔不断なポエムというのは、結構”大人”ってことだと思うんだよね。そんなに白か黒かで、人間、生きていけないからさ。
村田さんのソロライブ『ポエコン』は6月20日に西荻窪のブックカフェ「ハートランド」で開催されます。こちらです。
http://www.heartland-books.com/
死紺亭は、その日、立川のあちゃで『詩人vs芸人 言葉のバトル』に出演してるんだよなー。。しかも「芸人チーム」の、『コトバコ』でルンルンにブギウギやってた大村浩一さんと死闘(!?)をくりひろげるために。それはこちらです。
http://www.triple-dragon.co.jp/live/
20日は、「何で!?」というぐらい、ポエトリーのイベントが勝ちあってるので、みなさん、自己責任で、取捨選択を。でも死紺亭の経験則だと、そういう日は神様が降りてくるので、出かけないのはソンだぞ☆

アウトノ宮さんの、空耳フレーズ的な「ありえないから/全体的に」というのは、個人的にパンチラインだったなー。それはアウトさん自身のことだろう、というさ。で、本人もうすうす気づいている。そこらへんの匙加減は最高でしたね。ありえないから。
木棚環樹さんのひとりフォークジャンボリーも、ネタの作り込み具合は、ものすごかった。彼は、本当に頭がいいと思うんですよ。そして、ストイック。ぼくも全部の彼のギミックを読解できた自信はないけれど、凄まじさは感じました。それから、理解されてたまるか、というロックぽさもちょっと感じました。
花本武さんの「ビートをください」という詩作品もぐっときたなぁ。SSWSを通じて、HIPHOPとの交流があったってことを、テクストで提出できる腕前はいいと思う。その意味でいうと、ラッパーの家鴨さんがやってきて、ノー・トラックでRAPのネタをやってくれたのも、感銘を受けましたね。彼は一貫してフリースタイルはやってないらしいんだけど、安易にトラックを使う詩人への警鐘にも聴こえて。

死紺亭ごときが言うことのないクラスだと、ジュテーム北村さん、カワグチタケシさん、しげかねとおるさん。
このひとたちは、存在自体が「詩」でありますから。たとえばジュテさんが、「満州で死にたい」とシャウトするだけで、もう「詩」なんだよね。

順不同ですけど、サダアイカ(aika)さん、キキさん、小夜さん、ユーリさん、モリマサ公さん(カメちゃんは今回欠席。。)の運営陣からのリーディングは冒頭に、というアイディアはよかったと思います。
ただ”前座”と言っちゃうのは、ちょっとなー。あれだけのクラスの朗読で”前座”って言われて、あとはオープンマイクでどうぞ、というのも、ちょっと兄さんでも、引くぞ。。
ま、それとは別で、中盤にモリマサ公が、萩原朔太郎か誰かの作品を朗読していたが、よく咀嚼できていないで読んでいる感じはとてもした。個人的かも知れないが。

ゲスト・リーディング。

玲はる名さん。
短歌の朗詠の前後に、MCで「レイ・チャールズが死んだのが、とても悲しいです。」と仰ったのが、とても耳に残っていて。
その瞬間に、この女性が短歌を詠む、という事実が、とてもぼくにはリアルになったんですね。リーディングの場所がJazz喫茶だから、という事実も相俟って。
その言葉の残し方って、綺麗だな、と思いました。
最後の詩作品の朗読も、スピード感のなかに、その日参加したひとにしか分からない即興的な部分を、ばんばん挿入していって、それは快感でした。

河井澪さん。
河井さんは、端整な方なんですよね。佇まいもそうだけれど、テクストの運び方や内容も。
ぼくはそんな河井さんのクラシックな魅力がとても好きで。
そんな魅力で聴いているうちに、河井さんがカオリンタウミの詩作品を口ずさんだときには、少なからず驚き、そして、引き込まれました。
河井澪さんは、そんなに声量のある方ではないんだけれど、カオリンの詩に入った瞬間に、ヴォリュームとかではない部分で、何か迫力が宿ったんですよね。ほんとうに、うまくいえないんだけど、魂の発露というか。
そのあとのカオリンから田村隆一の作品へ、というのも、とても上質なDJを聴いているようだった。
SSWSの5月7日大会の準優勝者のタテノショウヘイさんも、田村隆一作品の引用をされていましたが、そういう他者の作品を朗読するときって、実はいちばんセンスが問われる。
河井さんは、そこの部分の感性が抜群だと思いました。
ご本人による、当日の朗読作品リストは、こちらにあります。
http://www.r-layer.net/

おふたりとも、おつかれさまでした。

サロンタイムや、受付で配った飴を、気に入った詩人にあげるという『コトバコ』独自のアイデアも、よく機能しているよな。
感想は言えなくても、飴なら渡せるし。いい意味でミーハーでいれるしね☆
あと小冊子の意義も、結構デカイと思うんです。
例えば、前回の『コトバコ』でジュテームさんが、あの場で作り、あの場で読んだ作品が掲載されていますが、放っておけばカタチにはならなかった「傑作」がこうして体裁を持って残るのはスゴイと思う。
私見の及ぶ範囲では、いわゆる「同時多発朗読」への最高の批評は、ジュテーム北村氏のあの作品に他ならないですから。
『コトバコ』は詩誌即売会”TOKYOポエケット”に参加するそうなので、都合のつく皆さんは、チェックしてみてください。こちらです。
http://www.exist.net/poeket/

こんな感じで、まだまだ書き切れない濃い『コトバコ』が終わり、ぼくはみんなからもらった飴をなめながら、夕暮れの白山神社に参拝し、紫陽花に独り見惚れたりしていたのでした。

運営陣ふくめて参加者の皆さま、おつかれさまでした♪
以上、死紺亭柳竹でした。

ま、ここまでが転載。
自分で読み返しても思いますが、俺って仕事してんなー。
それが『過渡期ナイト』レーベルの凄みだと思いますが。

蓄積って、絶対大事なんだよね。誰それがいるから、誰それがいる。
だから「死紺亭柳竹的存在」から恩恵を受けている存在がいるんだろう。
もちろん、ぼくも先達の恩恵に拠って、成立している訳ですね。

そう、考えるとポエトリーというカルチャーがブレイクするのも、あと一歩な気がしますね。よし、がんばっていきまっしょい

SPOKEN WORDSレーベル『過渡期ナイト』の公式サイトは、こちらです。
http://katokinight.fc2web.com/

それでは、また。チャオ☆