『水曜日に、天から水が降る。』

きょうは雨降りですね。晴耕雨読をやってみたい『過渡期ナイト』レーベルオーナー・死紺亭柳竹です。

レーベルの公式サイト『過渡期ナイトon the web』のほうに、拙作『スーパーラッキーストライク』が掲載されています。

その作品はリーディング用に書かれたものですが、文京区白山のJazzSpot映画館のオープンマイクイベント『コトバコ』(現在は終了)で発表したときのレポートを振り返ってみましょう。以下、再録です。


死紺亭柳竹  投稿日:2004年12月12日(日) 13時31分

以下は「過渡期ナイト」レーベルのオフィシャルサイト「死紺亭兄さんの妹連合」からの拙文の転載です。
http://www.e-mile.com/cgi-bin/view_bbs.cgi?c_id=0684

はい。
2004年12月11日、文京区白山のJazzSpot映画館で、オープンマイクイベント「コトバコ」の最終回がありました。

最終回なので、兄さんもエゴイスティックに、自分の語りたいものをレポートします。

最後の番長がカメちゃん、っていうのも、なんだかよかったな。カメちゃんはさ、ぼくが映画館のリーディングイベントの運営をしていたころから、最年少で手伝ってくれていたんだよね。
「よくぞここまで来たっ!」みたいな、ね。

ゲストは、カメちゃんと愉快な仲間たち(苦笑)みたいなノリでさ。ま、いいじゃないか。
茶店のこのJazzSpotにマジのスクリーンを持ち込んで、仲間の学生の映画上映をやったりね。
映画の感想? こらこら、学生の自主映画は、昔から学生の自主映画だよっ!(逆ギレ☆)。
安藤誠英さんのギターとカメちゃんの掛け合いも、ほのぼのしていた。
山本鷹生さんの詩の朗読とギターの弾き語りと、それのバックにながれる仲間たちとつくった「樹の音」(きのね)というアニメーション作品も、すごくやさしい世界だった。
全体にタカダワタル的な世界観だったな。
安藤さんと山本さんは「月の海」というバンドに参加されているらしく。こちらです。
http://sis.727.net/tsukinoumi/

オープンマイクタイムは、いつもある感想の時間を切って、ばんばんと。

紀ノ川つかささんの「12月8日」のジョンレノンの命日を中心にした諧謔の詩は、いつもながらの冴えを見せていました。面白いし、同時に現代社会への批判にもなっている。パンチラインもお見事でした。

木葉揺さんが、ドイツ語の古典詩を原文で読んだ、その響きも印象的だったな。無理して自作詩である必要なんて、少なくともオープンマイクではないからね。

武力也さんの死に触れて、作品を朗読していたのは、服部剛・死紺亭柳竹・白糸さん。
白糸さんの作品は、すごかった。誰かの死を語るということは、結局はおのれを語ることだ、ということを見切ったうえでの短歌の作品群は、よかったです。

死紺亭柳竹・紀ノ川つかさ・服部剛など「過渡期ナイト」レーベルメイトが走らせる「都電でGO☆」年末スペシャルは、こちらを参照してください。
http://www.poeca.net/cgi/db.cgi?action=details&code=1885
(注・参加希望の方は午後12時30分からの早稲田大学文学部キャンパス正門前の待ち合わせに来てくださいね! 14:00は列車の発車時刻なので、そこから電車は止まりませんので、マジでご注意をば。)

サロンタイムに、ぼくの朗読の感想を言いに来てくれたひとがあって。その娘ったら、泣くんだよ。
彼女の恋人が最近死んだらしく。彼が生前「コピーライトを舐めるな」とよく言っていたらしいんだよね。
彼女が言うには、「きょうの死紺亭さんは、それを体現してくれた」って。
泣く、というのは、それ以上聴かないで、ということだから、ぼくは黙って、バンダナ差し出しただけなんだけど。
最近思うのは、死紺亭柳竹の「喜劇」は、もう普通の意味での「喜劇」ではないんだなって。詩人のくせに、うまくは表せないけれどさ。
ちなみに、この日リーディングした『スーパーラッキーストライク』のパンチラインは”ブルースだって、ただのコマーシャル”。

最後の最後のスタッフ全員、カメ・キキ・小夜・モリマサ公・ユーリ、サダアイカさんは都合で欠席だったんだけれど、彼女たちの映画館の運営に一年間関わっての想いのポエトリーの朗読は、とてもよかったんだよ。
それぞれの映画館にやってくる風景の描写とかね。
欠席になったaikaさんの部分は、全員で斉唱するって部分まで含めて、なんかぐっときちゃったんだよね。

来年からJazzSpot映画館は、オープンマイクでなく「ワークショップ」をはじめるそうです。
講師は不在ですが、仕切り役は安田倫子さんにもどって。
ヤスダさ、ダチだから言うけれど、きみはとても恵まれていると思うよ。きみの不在を守るために、流された汗は、たくさんあったとも思うし。
でも、ぼくがこんなことを書くとか、きみが来年から「リリースルーム」というタイトルでそういうことを始めるとか、結局すべては自己満足の魂の労働なんだけれどもね。

小冊子のユーリのあとがきが良いので、すこし引用させてください。
「そもそも、わたしにとって詩はひとりっきりで書くもので、まさか、詩のイベントをやったり朗読をしたりするとは思ってもみなかった。」(中略)「ひとりだってことは悪いことじゃない。新しい1年がはじまるけれど、ひとりっきりで詩を書くことやひとりっきりで詩を書いている人を忘れないように、そうすればこれからも自然と出会いがやってきたり、大事な場所ができていたり、するんだと勝手に信じている。」

ぼくのキモチとほとんど同じなので、びっくりしちゃったや。でも、ぼくは、いまは、そんなに勝手に信じられるじぶんではなく、また自然とやってくるのは、出会いだけでなく別れも、とそちらのほうへ意識が行きがちなんだけれどもね。

しょうがないよね。じぶんはじぶんで、じぶんの自然な感情を肯定しないと。
じぶんの人生だし、死ぬときは誰だって、ヒトリボッチだから。

あれ、フィナーレに、こんなヘンな空気って、どうなんだろう。かなりオシャレかな?
ぼくはぼくで、いちねんかん全力で疾走したら、さむくもないし、ひろくもない、ただの広場で、ただの広場なだけになっちゃったんだよ。それだけ。

だから言ったでしょ。これはエゴイスティックな、ただのレポートです。Bye−Bye☆


以上がレポートの再録ですが、このころのポエトリーリーディング・シーンは、武力也さんがお亡くなりになったり、いろいろあったんですね。
ま、ポエトリーって基本の単位が「ひとり」だから、なかなか大変なんです。
特に、きょうみたいに雨降りの日は。なんてな。

さて、雨宿りしたいひとのための『過渡期ナイトon the web』はコチラです。
http://katokinight.fc2web.com/
『スーパーラッキーストライク』も読めますよ!

それでは。幸運にも、ぼくには「傘がある」☆ チャオ♪