『作品の性別に就いての考察。』

どうも、本名はマサミちゃんこと『過渡期ナイト』レーベルオーナーの死紺亭柳竹です。

このあいだの土曜日に文京区白山のJazzSpot映画館であった、詩作のワークショップ『リリース・ルーム』の話の続きを。

『リリース・ルーム』では、参加者が事前入稿した詩作品を冊子にして配るのだが、その段階では、誰が書いたかは空欄になっている。

そして、そのまま全員で合評会をするのである。

つまり、どの作品が誰の作品か分からないまんま、他人の作品の合評をするのですね。

そして、会が進んで、全員の作品の批評が終わったところで、ようやく誰がどれを書いたかの告白タイムになる。

ま、死紺亭がものした作品は『裏切りポッキー』というのですが、これを告白したときに、一部の参加者から「え?」という声があがった。

それから「うまく化けたな。」という声も聴こえました。

これは、ぼくは内心、「え?俺って大体こんなもんだよ。」と、驚いたひとに驚いたのでした。

会が終わったあとにメールを下さった方がいて、その方は「『裏切りポッキー』を書いたのは、女性だと思っていた。」との旨でした。

うーむ、そうか。
『裏切りポッキー』のような作品を書く女性がいたら、ぼくが付き合いたいものです。

それとは別に、『裏切りポッキー』を書くのは女性だ、という直感もなかなか正しいと思う。
この作品にはイデオロギー的な固有名詞がたくさん出てくるが、作者は、あまり頓着しないで書いている。
「へぇ、トロッキーね。ポッキーと韻を踏むじゃんか。」みたいな。
それでいいのか、っていいに決まっているのだが、そこらへんの潔さが、この作品の作者の女性性だと思う。って、俺の話なんだが。

ぼくが、ずーっとこのスタンスで作品を書いていて、ま、割と孤独だったんですが、「いや、意外とこれからはコッチが主流になりえるんじゃないの?」と思ったのは、川本真琴さんが登場して、そのあと椎名林檎さんが出てきたときでした。
川本さんも林檎さんも、いい意味で「裏切りの女性性」を出す詩を書くひとたちでしょ。
川本さんの『やきそばパン』とか林檎さんの『歌舞伎町の女王』とか、女性ならではのフェイク(化粧)が効いていると思う。

その意味では『裏切りポッキー』もお化粧ポエムだと思う。
ただ、死紺亭ちゃんも川本ちゃんも椎名ちゃんも、フェイクのかけ方が余人とはちがうのね。良いことか悪いことかは知りませんが、世の趨勢から言うと、圧倒的に”孤独”な人種だと思います。

うーん。。じゃあ、メイクさんの募集から、やり直してみましょう☆

てな感じで、ぼくの化粧室もある『過渡期ナイトon the web』はコチラです。
http://katokinight.fc2web.com/

そう、きょう霊柩車を見ました。ってサイゴに言うことですか。
だって、言いたかったんだもん♪ チャオ☆