『メランコリックな男です。』

そう、人生の半分以上のつきあいの女友だちから、「マツシタくんは、中身は女性よりも女性的だね。」と言われる『過渡期ナイト』レーベルオーナー・死紺亭柳竹です。
だから、ポエトリーって言うアート・フォームを選んでるんだけどね。

土曜日、文京区白山のJazzSpot映画館で、ワークショップ『リリース・ルーム』がはじまるまえに主催者のヤスダにT.S.の訃報を伝える。

T.S.は生前社会学のフィールドワークの授業を取っていて、彼女が選んだフィールドが「ポエトリーリーディング」だったのだ。

要するに、身近にいる人間が僕で、僕がポエトリーリーディングを選んでいたのが大きかったらしい。

T.S.の人嫌いは激しくなっていて、出来れば知り合いの知り合い以上とは、調査と言えども、関わりを持ちたくなかったらしい。

ま、それで死んでしまったのでは、世話はないが。

それで、話を戻すと、その調査対象(インフォーマント)に選ばれたのが、僕やヤスダだったのだ。
ヤスダとT.S.を引き合わせたのは僕なので、伝える義理があったのだ。

ヤスダは第一声で「自殺?」と聞き返したので、ビックリした。
なんでも生前、調査の名目で、ふたりで呑むときによく「死」への願望を語っていたという。そして、「生はマボロシのような気がする。」と。

なんだか、調査対象がヤスダや僕でなくて、T.S.だった気がしてきた。そんな訳がないが。

僕の詩作品『真夜中のブックオフ・ブルース』はT.S.に捧げた作品だ。
捧げたというか、登場人物だな。
僕の死んじゃったガールフレンドという設定にした。
妹ぶんから、女友だちとは、ズイブンな出世だが、せめてもの供養のつもり。

ポエトリーリーディングには、ズイブンといろいろな人たちがいるが、根本の部分で全員”優しい”人たちだと思う。そうでなければ抒情や叙事を本質とする詩歌には手を染めないだろうな、と思う。

そう、『真夜中のブックオフ・ブルース』のリーディングを聴いて、永澤護さんが、「これは『一回性の青い春の反復の詩』ですね。」と的確なコメントを下さる。
永澤さんの知性は、いつもぶれない。

さて、メランコリックなブルーマンデーから、また一週間の反復だ。
僕は生きる、けどね。それでも。

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あたらしい詩作品もアップされています。

それでは。生きてるだけで、丸もうけ、ですぜ☆