『便所の落書きは、何故なくならないのか。』
こんにちは。
先ほどは、早稲田大学本部キャンパス南門(新開発済み)で、本日より初日の劇団テキオンヒコウのフライヤーを、女優の白井三紀子さんと宣伝していた死紺亭兄さんです。
「都会の夢しばい」というタイトルで、早稲田どらま館にて。
詳しくは、こちらをどうぞ。
http://www.tekion-hikou.com/
さて、それは兎も角、今日考察してみたいのは『便所の落書き』について、である。
今日、本屋さんのトイレで、次のような落書きを見かけました。
『世の中の不況が長引くのは、みんなが創価学会のことをバカにするから。おまえら、ほんと、みんなバカ。』
内容はさておいて、どうして、トイレに落書きするという営為を人類は止めないのでしょうか。
それは、『ライ麦畑でつかまえて』の主人公・ホールデン少年も悩んだ事例ですね。
嘘だと思ったら、もう一度、読み返してみるように。
私は、便所に落書きをしたことのない人間です。
なぜならば、便所以外にものを書くことで生きてきた人間だからです。
そうすると、便所に落書きをするひとは、便所以外に書く場所がないひとなのだろうか。
これはある程度、説得的な考察ですね。いまだったら、インターネット上に幾らでも「書く場所」はある訳ですから。
私は女子ではないので、女子トイレの落書きを読んだことがありませんが、そこでは何が主題となっているのでしょうか。
まー、何処の女子トイレかにも拠るでしょうね。
そう、便所の落書きにおいて重要なことは、消す速度に勝って、書かれているということですね。
消されてしまったら、「読者」は誕生しない訳ですから。
私は「便所の落書き」については、微妙なスタンスを取ります。
まず「便所の落書き」は、創造的に劣るがゆえに、すべてのライターの味方になりうる訳です。最低限「便所の落書き」よりは上手い、と。
他方で「便所の落書き」は、「そんなものは価値評価の軸にできない」と最初から断定されているがゆえに、常に敗北的・屈辱的な行為であり、かててくわえて、犯罪行為な訳です。
私自身の現在のスタンスは、「物語の結末のあとの退院したホールデン少年」みたいなものですから、そんなに「便所の落書き」に悩まされたりはしないのですが、一方で「便所の落書きがまったく存在しない世界」にも住みたくはない訳です。
倫理的な決意として、世界は濁っているべきですから。
その意味でいうと、これはHIPHOPのグラフティにも繋がる問題ですね。
最近の問題で言うと、ECDさんの公式掲示板「ECDBBS」が”落ちる”という出来事がありました。こちらで確認して下さい。
http://6627.teacup.com/ecdbbs/bbs
これは私見の及ぶ範囲でコメントすれば、ECD氏自身の最近の左翼運動への認識の甘さが、相手に付け入るスキを与えてしまい、文字通り「便所の落書き」の欲望の暴徒と化した人たちに付き合えなくなったんでしょうね。
しかし、それだと「HIPHOP兄さんの看板が泣いてますよ、イシダさん!」状態ですけれども。「ECDIARY」(レディメイド・インターナショナル)のファンとしても、そう思います。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4902824000/249-8026569-4106714
ま、「便所の落書き」問題は根が深いですね。もしも、ぼくが便所のラクガキをスルとしたら、つぎの一行かな。。
はっはっはっ、これが頓知プレイってやつですか。
便所以外に落書きしたい紳士淑女の社交場は、無論「過渡期ナイトBBS@暫定版」。こちらであります。
http://free2.milkypal.net/f-bbs/BA-1/freedom.cgi?mm=k_night&mode=bk
じゃあね。ぼくは向こう1時間男子トイレにも女子トイレにも入りません☆
けど、素顔は「頻尿の人」(水中、それは苦しい。)なんだけど。バイバイ♪