『もう一度だけ、海で、はしゃぎたかった。』

そう、ぼくは、人生のある時期まで、海へ行くつもりじゃなかった少年だった。

文學界』2005年6月号の北野武インタビューで、聞き手の蓮實重彦氏が、キタノ映画は海まで行って、入らないところが特徴だ、と鋭いことを言っている。

そう、それは北野武一流の「照れ」だ。

もうこの世にはいないT.S.の演劇のサークルでの新人試演では、全員水着になっていた。

そしてバックには、ルースターズの「恋をしようよ」が流れていた。

そのことだけが、延々と思い出される。今日は、暑い5月の中旬だ。


何年かまえに、劇団バングラッシーが打った芝居が、この季節の海の家が舞台だった。

劇団バングラッシーは、こちらです。
http://www.babu.com/%7Ebang/

そして、5月の海の家を舞台にした芝居の私の劇評は、こちらです。


17 死紺亭の眼
●死紺亭柳竹さん(喜劇人)2003年5月29日 23時38分3秒 E-mail: HomePage:

バングラッシー公演『だから、遅過ぎたと言ってるんだ!!〜19世紀少年〜』
早稲田どらま館 2003年5月23日〜26日

よくは知らないケドも、『稲中卓球部』ってマンガがあるぢゃないですか。あの世界観って、あたりまえだけど、「中学校」が前提なんだよね。だから、チュー坊でいいわけですよ。

このお芝居の設定は、海びらきまえの海の家のバイトに寄せあつめられた3人の「遅過ぎた」青年たちによるドタバタ喜劇てなトコロで。(そーいや大江健三郎に「遅れてやってきた青年」とか、そんなのあったね)

何かさ、ウェルメイドなお芝居だったんだよね。もうちょっと荒いのかと思ってたりもしたんですよ。(まー、死紺亭の言う「荒い」がどれほどのものかは、自分でもよく分かりませんが)。バックステージワークスもスゴク良かったしね。舞台美術や照明や音響など、「自我」ではなく「自己」を主張スルとてもよろしいコラボレーションをかもしだしていたんだよね。

そう、芝居の最中に地震があったんだよ。そのときにステージの上の3人の「19世紀少年」がはにかんだんだよね。チュー坊であるワケではもうないのは誰の眼にも明らかだけど、「大人てのもどーよ?」と思っている人たちの嘘のなさがその瞬間みえて、笑っちまいました。そんな肯定感をこめて、「だから、キミたちは速過ぎたと言ってるんだ!!」。
(原文・死紺亭柳竹、入力責任・松本温子)

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いまバングラッシーの皆様は、次回公演のために鋭意稽古中ですが、結局そうやって生き延びることのほうが、大事だと思う。


T.S.さん、だから兄さんは、あまり貴女に同情できないのだよ。


死んだら、死んでいるだけだ。生き延びた奴だけが、海開きの海で、スイカを齧れるんだぜ。知らなかっただろう。

日々をサバイバルする利発なハードボイルドの溜り場は、むろん「過渡期ナイトBBS@暫定版」。こちらである。
http://free2.milkypal.net/f-bbs/BA-1/freedom.cgi?mm=k_night&mode=bk

ではな。トレンチコートで、今度、海へ行こうぜっ!