『22歳で死んでしまっただろう、貴女の為に。』

死はいつも突然だ。当事者に取っても、知らされる側に取っても。

昨日、ある劇団の部室で和田くんという若い友だちと、軽くオシャベリをしていた。

和田くんは、静岡で公演を打つ第七劇場の音響として、旅立つところだった。

第七劇場は、こちらです。
http://homepage2.nifty.com/nrm/seven/

和田くんは、文学青年でもあるので、気が合う。盛り上がったのは、「早稲田文学」という文芸誌がとうとうフリーペーパーになってしまうという嘘みたいな実話。

どうせだったら、「ホットペッパー」みたいにすれば、いい。それで、笙野頼子さんの単行本の100円割引クーポンとかがもれなく付いてるのな。


で、巻頭論文が柄谷行人の「近代文学の終わり」。コントだろう、それは!


そんな他愛もない話をしていたら、ふと昔、現場を共にした芝居の話になった。
別役実の「マッチ売りの少女」。演出は鳴海康平さん。
ぼくは俳優をやって、和田くんが音響をやっていた。

その時、女優をやっていたT.S.さんが、去年10月に変死(?)したのだという。
これを和田くんから教えてもらって、ぼくはビックリした。
昨日まで、何も知らなかったのだ。

T.S.さんとは芝居の稽古のあと、西早稲田にある子育て地蔵尊の境内で、身の上相談に乗っていたこともある。謂わば、私に取って、妹ぶんみたいな存在でもあった。

いま、これを綴っていても、正直「欠落」の埋め方が判らない。

彼女と最後に会ったのは、たぶん、以下に転載する劇評の現場の時だ。


3 劇評「死紺亭の眼」
●死紺亭柳竹さん(喜劇人)2004年4月27日 21時38分29秒 E-mail: HomePage:http://www.e-mile.com/cgi-bin/view_bbs.cgi?c_id=0684

第七劇場「贋作ハムレット
2004年4月24・25日 早稲田大学学生会館多目的ホール

喜劇人の矜持として、「空気を読め!」という言葉は、さまざまな意味で、座右の銘となる。
「空気」を読んだうえで、「空気」に逆らうか、「空気」に従うか、その「選択」こそが舞台では問われる。

演出家の鳴海康平は、シェークスピアの「空気」を、恐ろしいぐらい貪欲に「呼吸」してしまっている。
そして、その「空気」を解読して、そのうえで彼は、素晴らしく無駄な抵抗をしている。
徒手空拳」とは言い条、そのもがき方は、必死の闘争の痕跡として、痛々しく、また生々しく、舞台に提示されている。
「闘争」を、断じて「逃走」の文脈に落とし込まないこと。そのような強い倫理的な意思が、役者の身体を通して、センターステージに現出している。

鳴海康平が、センターステージに拘るのも、大変面白い。
四方を客席に囲ませる舞台は、観客は一回の観劇では、固有の視点の一角しか共有できない。しかし、次の回を視たとして、「空気」は変化しつづけるのだから、つまり観客は「すべて」を観ることは絶対にできない。

だが、本来的に「演劇」とは、そういうものである。また「人生」とは、そういうものである。逆に言えば、能動的に「時間」を生き直す「経験」こそが、「人生」であり、「演劇」的経験である。

その意味で言えば、鳴海康平ほど、「倫理」的に厳しい演出家は、いない。それは当然、「演劇」に関わる「すべて」に欲求されるだろう。自己はもちろんのこと、彼は「観客」や、冗談抜きで、「空気」に潜むモノまで、「演出」したいのかも知れない。

それは無論、傲慢だが、その傲慢は、「芸術」の根源にある「業」のようなものだと思う。

そのような「業」が、福田恒存の翻訳の文体を通して、例えば、芥川龍之介の「侏儒の言葉」を召喚もしくは召魂する様は、ある意味で身体的な感動を伴う。

朱色の着物を纏った女優に象徴もしくは象形されているだけではなく、そこでは文字通り、「文体」の「体」としか言い様のない部分が、「空気」として、劇場を訪れている気配があるからだ。

鳴海康平は、今回、しきりに「未分化」という言語に拘泥して、作品に携わった様子である。
「未分化」とは、「空気」のなかに偏在する「存在」のことである。その「存在」は、一度具象化すると、もう嘘になってしまうだろう。そして、彼は嘘を回避する呪文のように「未分化」を唱えるのだが、最終的に「演劇」は、嘘にならざるえない。

当たり前である。「演劇」は具象の権化だからだ。もちろん、この場合「演劇」は「芸術」と置換して構わない。

だから、「芸術」は、敗北の歴史であり、そこには「業」が必要なのである。

しかし、「敗北」を否定してしまえば、「逃走」だ。

第七劇場には、ぜひ「敗北」を強く「否認」する「闘争」の歴史を歩んで頂きたい。

根拠はないが、大丈夫である。

そもそも「無根拠」に依拠すればこそ、人類も、「空気」のなかで、しぶとく生き残る「未分化」な存在どもたちも、「芸術」を生き残らせてきたのだ。

多少の残酷さは、「お互い様」というものである。

であればこそ、第七劇場の第一歩は、重要なのだ。

(文責・死紺亭柳竹)
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彼女は、ハムレットが好きだった。一度もメールしたことはないが、アドレスは『クレイジー・アバウト・ハムレット』だった。


享年22歳。若すぎる、とも思うし、あの娘には辛すぎたのかも知れないとも思う。


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http://free2.milkypal.net/f-bbs/BA-1/freedom.cgi?mm=k_night&mode=bk



以上。合掌。