『劇評家の憂鬱な日曜日。』

本日は軽く、サラダゼリーの稽古場を訪問して、幹事長にご挨拶。7月に公演があるそうです。気合が入ってますね。こちらです。

http://www.geocities.jp/salad_jelly/

きのうは劇団森(SHIN)の部室で、いろんな人たちと雑談していたのだが、いちばんココロに残ったのは、ヤマケンさんとの会話だ。ヤマケンは、こちらです。

http://www.geocities.jp/hacki_nen/

ヤマケンは早稲田大学での宮沢章夫先生の授業を取っているらしいのだが、そこで扱っているのが、チェルフィッチュ岡田利規さんの「三月の5日間」らしい。こちらです。

http://dx.sakura.ne.jp/~nnn/play/gg03/official/chelfitsch.html

ちなみに岡田さんのブログとホームページもあるのね。それはコッチです。

岡田さんのブログ。
http://chelfitsch.exblog.jp/

チェルフィッチュのホームページは、こちらです。
http://homepage2.nifty.com/chelfitsch/

「三月の5日間」の噂は、コンテンポラリーダンスの批評家・乗越たかおさんと早稲田でお茶をした時も聴いた。乗越さんはこちらです。
http://d.hatena.ne.jp/nori54/

岡田さんとは同じ1973年生まれということもあって、これだけ後輩、そして先輩からウワサを聴くと、さすがに死紺亭も自分のスタンスを考えるのである。

死紺亭柳竹は、「劇評家」という強固なスタンスを護り続けて、今日がある訳だが、たまには「過渡期ナイト」で演劇公演を打ってもいいのかも知れない。というか、その時期なのだろう、という予感がスル。

過渡期ナイト」は、ポエトリーの公演は数知れなく打ってきたが、そろそろ古巣の演劇を省みる時期なのだろう。


劇団てあとろ50'の劇評を書いた。劇団森の「月面喜劇」を観て、演劇倶楽部の「マグロ」を観て、早稲田どらま館のGWの演劇ラッシュの最終公演となったのが、この批評の対象の公演である。

劇評家というのは存外孤独な仕事で、みんなが打ち上げているころに、やっと執筆のコヤ入りという、地道な仕事なのであった。まー、レポートって、全部そういうもんだが。

では、お読み下さいまし☆


以下は「過渡期ナイト」レーベル公認掲示板「過渡期ナイトBBS@暫定版」からの拙文の転載です。
http://free2.milkypal.net/f-bbs/BA-1/freedom.cgi?mm=k_night&mode=bk

[No.276] 劇評「死紺亭の眼」

by 死紺亭柳竹

劇団てあとろ50' 第59回五月本公演
「ただのセンチメンタルな死体群」
2005年5月6日−9日 早稲田どらま館

詩情に溢るる舞台だった。稲田美智子の造型した抽象的なジャングルを、吉村愛子の白日夢のように明るいライトが照らし出す。

そこで冒頭のみ15人のキャストが揃う。謂わば沈黙する「死体群」たちだ。しかし、物語を語る「死体」たちがいる。それは「眠い街」に関する説話である。
この「死体群」たちは、その街から漂流してきた者たちだと知れる。そして舞台上の死体たちがよみがえり、ドラマが始まる。

このよみがえりのシークエンスにおける安田裕美の体のしなりの良さは特筆ものだった。彼女は最後まで生き残る女性4人組のひとりで、仲間内では四つ葉のクローバーを探すことを止めない役所だ。それに反して、生き残りのなかでも悲観的な態度を崩さない高羽彩の笑顔も印象に残った。

15人という奇数で始まった物語が、4人という偶数で終わること。否、ひょっとしたら、この物語にはただ一人の生存者もいなかったのかも知れない。その文脈から言えば、確かに「ただのセンチメンタルな死体群」というポエジーは、辛うじて舞台に成立していたのだろう。

(文責・死紺亭柳竹)

2005/05/14 18:35:17



と、まぁ、一応これが劇評家の憂鬱な日曜日。なのであった。。

さり気なく応援したい諸君の作戦会議場所は、もちろん「過渡期ナイトBBS@暫定版」。こちらである。
http://free2.milkypal.net/f-bbs/BA-1/freedom.cgi?mm=k_night&mode=bk

ていうか、近いうちに、エンゲキやろうぜ。マジで。ではね♪