世界は濁っているべきだ。

学生時代に聴いた師の言葉。

「倫理的意思として、世界は濁っているべきだ。」

考えれば考えるほど、深い言葉だ。

「世界は濁っている」までなら、誰でも思う認識だ。

しかし、意思の選択として、「べきだ」と付け加えられるかどうかは、その人が試されるところだ。

ここは天国ではない。かと言って地獄でもない。
良いやつばかりではないが、悪いやつばかりでもない。
そして、世界がそういうふうであることを肯定すること。

ブルー・ハーツのトレイン・トレインは認識を示したうえで、栄光に向かって走る列車に乗ることを希望した。
しかし、それは一種のファシズムだ。濁っている世界に踏みとどまること。世界を澄んだものにする欲望に加担しないこと。

なかなかむずかしい。だが、世界は勝手に濁っている。しぶといまでに。そして、それはそうあるべきなのだ。