『山田詠美が、華やいでいる。』

はい。『過渡期ナイト』レーベル代表の死紺亭柳竹です。

山田詠美さんが作家業20周年だとかで、雑誌『文藝』では、特集が組まれている。

前から思っていたことだが、詠美さんの文体はぶれがない。そういう意味では、スキャンダラスな作品というものからいちばん遠い女性作家の筈なのだが、デビュー当初はさんざん叩かれていた、らしい。ま、その時期の文芸誌は以前通読したので、知っていますが。

詠美さんは、最近「日本の文学」を守ろうとしている気がする。高橋源一郎と組んで”顰蹙派”とでも言うべきエコールを、仮初めにこしらえて、文学という場所に話題を提供している。ポン姐さん、そこまでしなくてもよいのに。でも、頑張るから、姐さんなんだなー。

20周年というのは、中途半端なような、そうでないような、微妙な祝われ方だなー、と思いますね。それを言うと、私が”死紺亭柳竹”をはじめて、16周年だかだけど、あと4年で、そんな華やいだ状態になるとは思わない。むしろ、まだまだ過渡期っていうのが現状だろう。

以前から言っている私の説だが、雑誌というのは、すべて「広告」なのである。今回の詠美さんの”お祝い”も直接的に言うと、新作『風味絶佳』の一大広告、ということになる。但し、山田詠美さんのクォリティーの高い小説のためには、祝福こそ相応しいというのもよくわかる。

詠美さんが、最近文壇に物申して、孤立無援な感じの笙野頼子さんの援護を対談のなかでしていたの意外だった。だが、作風はまったく違うとはいえども、日本の現在の文学という場所から、顰蹙を買って、ひとりになってしまった時期の経験は、両者にも共通のものだな、と納得しました。詠美さんが『ひざまづいて足をお舐め』なら、笙野さんは『居場所もなかった』ですか。どちらも壮絶な文学世界を80年代から展開していた訳ですね。

詠美さんの作品が好きという女の子は、ほんとうに多い。私の人生でどれだけ会っただろうか。みんな、なんだか一見変わってて、その実スクエアな人柄で、つまるところキュートな人たちだった。

さ、キュートな人たちの憩いの場所『過渡期ナイト』ホームページはこちらです。
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それではね。またね☆