『木村カエラと椎名林檎。』

はい。『過渡期ナイト』レーベル代表の死紺亭柳竹です。

CXの番組で向井秀徳椎名林檎が喋っているのがあって。それを見てつくづく、椎名林檎木村カエラは「同じ顔」だと思った。この場合「似ている顔」でないのが重要だ。似ているか似ていないかだと、椎名と木村は似ていない。何故なら、椎名林檎には自意識による抑圧が顔に出ているが、木村カエラには無意識への抑圧などないからだ。

木村カエラはその意味では、三島由紀夫によく似ている。しかし、それは奇異なことではなく、スガ秀実の顰みに倣って言えば、「少女」と「天皇」は相似形なのであって、木村が「少女」の役割を引き受け、三島が「天皇」をフェティッシュとしてみずからに引き寄せたということである。その意味で言えば、木村カエラはありがちな存在ではあるのだ。

木村カエラを表紙にしたクィックジャパンの特集が『結婚』なのには驚いた。クィックジャパンは”サブカルチャー”の雑誌ではなかったのか。『結婚』という”大文字(メインカルチャー!?)”のテーマは本来別の系列の雑誌が、仮にでも引き受けるのが作法な気がしていたのだが。『結婚』という、ある種今日では国策的問題を、その批判意識なく、すんなりと特集にしてしまうには、しかし「少女」木村カエラのあっけらかんとした顔こそがふさわしかったのである。

椎名林檎と言えば『歌舞伎町の女王』だろう。そこで彼女は存在自体が仮構の母親のあとを継いで、「女王」になったのだった。そこに彼女の魅力があったのには間違いがない。しかし、向井とのトークでは、彼女はあからさまに『再婚』への欲望を語る。そこでは最早自分が”新宿系自作自演屋”の「女王」でないのを自明のものとして語っている。そして、彼女は自分が「少女」になりそこねた存在であることもよく知っているのだ。彼女にとってバンドとは、そういう自分のためのイクスキューズの癒しの存在に過ぎないのだろう。『東京事変』というバンドタイトルは、しかし、「新宿」より大きくなった自我のことではなく、更に日常的になった自意識の処理するための「事変」に眼目があるのではないだろうか。向井とのトークで自らを「安い女」と自嘲する椎名林檎は印象的だった。

それをともかくとして、話として受け入れる向井秀徳の度量の大きさは、観ていて心地よかった。また彼のソロ曲『自問自答』のトーキングの部分は、勝手ながら、SPOKEN WORDSの可能性というものを感じさせるうねりがあったのである。

さて、SPOKEN WORDSのレーベル『過渡期ナイト』の公式ページはコチラです。
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それでは、失礼します。チャオ☆