『人生とは要するに「旅」だ。』

今朝「とくダネ」を観ていて、小倉智昭さんがインターネット詐欺の事件に触れて、急に思い出したかのように「きのうのデーブがネットで買ったマイケル・ジャクソンが浮かび出るトースト、あれも詐欺ですよ!」というのを聞いて、それは詐欺は詐欺でも次元がまた違うだろ、あと昨日はあなたあんなにハシャイでたんじゃん、と冷めてしまった『過渡期ナイト』レーベル代表・死紺亭柳竹です。

梅雨であることを思い出したかのような梅雨空のなか、大阪旅日記プレイバックの最終回をお送りします。どうぞ。

以下は「過渡期ナイト」レーベルのオフィシャルサイト「死紺亭兄さんの妹連合」からの拙文の転載です。
http://www.e-mile.com/cgi-bin/view_bbs.cgi?c_id=0684

2004年8月8日、西成の安い宿の「523」。
ぼくは、文字通り、死んだように眠っていた。
朝の6時30分ごろ、部屋のドアを叩く音がして、びっくりして起きた。いや、殴りこみとかがあっても、おかしくはない雰囲気ではあるから。
ま、剛くんだったんだけど。まだ起床した途端で、ペルソナの眼鏡もしていないので、もうちょっと後できてもらうように頼んで。
その10数分後、剛くんを部屋に招きいれて、話をした。
ま、いろいろと。剛くんは、もうチェックアウトして、遠藤周作ゆかりの地や復興したあとの神戸を見ると言っていた。
彼と別れた。帰りの便は、別だし。
そのあと、ぼくは、また意識をなくして、眠った。
朝の9時ごろ、身体が突然けいれんして、それで目覚めた。チェックアウトを決めた。

西成の街を歩く。確かに歌舞伎町とはまったく異質だが、同じ核のようなものも感じた。その核の正体はまだ分からない。

駅の前の公衆電話から、ちょりくんの電話に、お別れのメッセージを。
さて、ぼくは往復で「過渡期」号のチケットを取ってあるので、夜の23時までは時間を潰さないといけない。
往復で取ると、ちょっと割引が入るんだよ。こういう、ちょっとしたことが「犬の生活」には大事。

とろあえず堺筋線の「動物園前駅」から「天神橋筋六丁目」に。旅の節目のひとつ今昔館に戻ったわけさ。

そこから、今度は、剛くんとは辿らなかった、道筋をまっすぐ歩いてみた。

ふと気づくと、大阪の熊野街道のしるしを見つけた。
ぼくは、取りあえず、その道筋を歩きつづけることにした。

途中で、99円ショップを見つけて、2リットルの水とバナナと黒パンを買った。
これだけあれば、灼熱の陽光の下でも、何とか死なないだろう。

歩きつづけると、大きな樹木が、ぼくを待っているかのように、そびえていた。
それが大阪・榎木大明神だった。ぼくは参拝した。
由来を読んでいると、その付近は、直木賞で有名な直木三十五氏のゆかりの地であるとのこと。
直木賞の有名さの割合に対しての、直木三十五氏の現在の評価の低さに、記念館を作る運動があるそうだ。
直木三十五氏は、早稲田大学の先輩だし。ちょっと死紺亭呼び出しが入ったかな。

そのまま進路だけ、勘で決めて、また直進した。
すると、鵲森宮(通称・森之宮)に当たった。
この神宮は、聖徳太子の縁の深い神宮で。
当然、参拝。聖徳太子ほどの人物とあらば、ポエトリーリーディングを聞き分ける耳もお持ちであろう。

その後、玉造稲荷神社に。
境内に入るまえの畑に眼が入った。
黒門と呼ばれる瓜の畑である。
江戸狂歌師の貞柳の歌が、頭に入った。

黒門といえども 色はあおによし 奈良づけにして 味をしろうり

貞柳さん、柳竹も、平成の狂歌師ですよ。

神社を参拝。
印象的だったのは、境内の厳島神社を参拝したとき。
参拝中、池で何かが跳ねる音がした。
あとで見ると、そこは亀の池らしい。
亀の跳ねるとは、これは吉兆か。

そして、忘れられない石碑を、見つけた。
それは千利休の碑。
俺の親父は、一代で築いた茶道具屋だったんだ。
ちょりくんも、その本名から察しの付く、茶道ゆかりの家だと聴いているし。
あの世の親父への、幾許かの孝養となったか。
この「旅」の意義が、少しだけ、判った瞬間だった。

そのあと、細川ガラシャ夫人が焼き捨てた家の名残りの越中井を見た。近くの地蔵を拝んだ。

すぐそばの大阪城公園に入った。が、気が向かなくて、城には足も向けなかった。
ある意味で、いま考えると、何であれ、その「城」を拒否した人たちの「魂」と交感していたからかも知れない。
公園の噴水に腰を下ろした。
蝉の死骸が、たくさん浮いていたんだ。

そこから、さすがに歩くのは、疲れて、地下鉄で梅田へ。
それでも「過渡期」号には、時間はまだある。

梅田駅で、すこし一休み。横では、ホームレスらしきおっちゃんが休んでいる。

ちょっと阪急を冷やかそうと思って、デパートのなかに。
あとで、そこは紀伊国屋書店だと知るのだが、本屋だと思い、何も考えず、入った。

そこの詩歌のコーナーで、服部剛くんと再会した。
まったくの偶然だが、まったく驚かなかった。
なぜなら、これは、そういう「旅」だからさ。

詩歌のコーナーの前で、いろいろ探しながら、剛くんにブック・ソムリエ。
剛くんは、旅先で買うことに意味を求めて、真剣に詩集を選んでいた。

その後、梅田の地下のサテンに。
いろんな話をした。本当に、語りきれないぐらい。
ふたりで決めた「旅」の約束は、ふたつあるんだ。

「プレゼントのできる詩人になる。」
「荷物をもって 歩くしかない。朋とPoet On The Road。」

真実の約束だよ。
19時30分。剛くんのJRの時間。
剛くんは、ま、お互いに融通しあった「旅」だったけど、最後に、ということで、自分の分とぼくの分の明石焼を買ってくれた。

お別れの時間。
ぼくは、そのあと、冷めないうちに、彼の友情の明石焼を食べた。
そして、22時の閉店まで、紀伊国屋で、演芸の本などを中心に、立ち読みを続けた。

閉店後、ちょっと梅田の劇場とか見てみようかとも、思ったけど、足が向かなかった。
ほんとうの「喜劇」の匂いがしなかったんだ。

バスターミナルで23時の「過渡期」号を待つ。
なんだか、いちばん長い時間だった。

バスの座席にようやく座れると、ぼくは、すぐに薬を飲んだ。
身体はなんとか騙して、眠れたけれど、意識はずっと起きていた。けいれんも何度かした。
正直、独りでよかったと思ったんだ。

朝、見慣れたドス黒いカラスの鳴き声のする新宿に着いていた。
ぼくは、この街の、汚い部分も、殴打したいぐらい愛している。それが、ぼくの「愛」だ。
そうでなければ、「東京っていい街だな」なんて言う資格はない。

そして、自分の寝城に。
祖父の写真に手を合わす。そして、なんとか、眠ったんだ。

それから「旅」は、まだ、この瞬間も、続いているんだ。
それが「Poet On The Road」。そう言ってしまえば、愛と笑いの過渡期ナイトさ。

人生とは、要するに「旅」だ。

以上、再録でした。『過渡期ナイト』公式ホームページはコチラです。
http://katokinight.fc2web.com/

それでは、今日という日の旅を続けましょう。またね☆