『サッカーは終わりの5分間を観ました。』

6月9日は、渋谷陽一のお誕生日で、ロックの日ですか。
子どものころ、ヘミングウェイの短編集の翻訳を読んでいて、『69(シックスナイン)』の訳者の語釈が、あまりにも「なんだかなー」だったので冷めてしまったおませさんこと『過渡期ナイト』レーベルの死紺亭柳竹です。こんにちは☆

仏文学者にして、「早稲田文学」の功労者・平岡篤頼氏がお亡くなりになって、文芸誌のいくつかで追悼文が出ています。
死紺亭も、この場で、追悼させて頂きます。合掌です。

私は早稲田大学第二文学部の文芸専修の卒業生です。
その縁もあって、平岡先生の研究室で、一対一でお話しさせて頂いたことがあります。

私が吉田文憲さんの授業で助手をしていることを告げると、平岡先生は「あー、ブンケンね。あいつなら学生時代から知っているよ。」と軽くおしゃっていました。

それから私は当時小説家志望だったのですが、「ともかくね、書きなさい。書くことをやめないことだよ。」と言って下さいました。

「すばる」(集英社)の小川洋子さんの追悼を読むと、彼女も同じせりふを言われているみたいですね。平岡先生の「教育者」の側面がよく分かります。

また、ひろい意味でワセダ文学に携わっている人間だと、嬉しささえおぼえる追悼文は「群像」(講談社)の市川真人さんに拠るものです。必読ですよ。

「文学にミタもワセダもあるものか。」平岡先生の声を知るものとしては、嬉しい台詞です。

私が研究室で先生の小説を読んでいることを伝えると、平岡先生は嬉しそうに「キミは変わりもんだなー。」とおしゃったのを覚えています。

さてさて、そんな変わり者の死紺亭が今月の文芸誌でリコマンドするのは清水博子の随筆「ぶんだんお公家髪プレイバックPart2」だな。これ、マジ面白いよ。
清水さんもワセダ文学のひとで、死紺亭なんかは『街の座標』のイメージが強すぎたんだが、この随筆は芸があって、笑えます☆ 読みなさいよ!
(清水さんは晩年の平岡先生と親交があったみたいですね。そこを伴わせて読むと、更にいいです。)
それから、「文學界」(文藝春秋)の松尾スズキさんの小説もなかなか良いです。

ま、何かブンガク界も「過渡期」だな。

そんな私のホームは、こちら。遊んでって。「過渡期ナイトon the web」です。
http://katokinight.fc2web.com/

では、研究室on the roadで待ってまーす。チャオ☆