『おはよう、朝の日記だよ。』

みなさま、おはようございます! 朝の日記の時間ですよ!

きのうは劇団てあとろ50' 本公演『ただのセンチメンタルな死体群』の初日を鑑賞スル。

ま、初日は初日だな、というのが正直な感想である。劇評を書くのは、楽日まで様子を見るとしよう。

帰ってから、現在ツアー中のゴスペラーズ酒井雄二くんと軽く長電話をスル。
まー。年相応30男同士のよもやま話と言ったトコロか。
酒井くんと私は、もう10年来の親友である。

いまは山形県の酒田らしい。ゴスペラーズのツアー「G10」のオフィシャル・サイトは、こちらです。
http://www.sonymusic.co.jp/Music/Info/TheGospellers/tour/

それで、朝起きて、早稲田大学の新学生会館に行ったら、やる気のないア・カペラのサークルSCS(ストリート・コーナー・シンフォニー ←要するにゴスの後輩筋)に軽く舌打ちされるのだから、天下の死紺亭兄さんも堪ったモンぢゃない。

きのう、劇場、早稲田どらま館で、ま、いろいろご挨拶をスルが、何気に高田馬場で地元繋がりのある小郷くんとその同居人(きれいな女優さんですよ)とご挨拶スル。

きょうの朝のお蔵だしは、その昔の小郷くんの携わった芝居の劇評にしてみよう。
以下は再録である。

劇評『死紺亭の眼』
●死紺亭柳竹さん(喜劇人)2003年6月6日 18時44分53秒 E-mail: HomePage:

劇団てあとろ50’「業的自滅衝動」
早稲田どらま館 2003.5.30〜6.2

まず演劇作品として、大変にウェルメイドで、良質のものであったことは明記しておきたい。観る側は自明のことと捉えがちだが、それだけでも簡単なことではない。
大学の研究施設の内部の人間が外部に資料を違約して、売っている。その露見を防ぐために、施設の爆破を目論む。それがあらすじである。

小郷寛人が演じた爆弾製造の請負い人の人物造型が私にはすこぶる面白かった。
この男、爆弾を造るだけでは、飽きたらないのである。ただ爆弾がバクハツするだけでは彼のアルチザンといおうか、アーティストといおうか、その自負たるものが充たされないのである。そこで、この男は爆弾がバクハツするときに花火のあがるように仕掛けをこらすという要らないことをする。

私は、かように、人間のおかしみのあるかなしみ、またはかなしみのあるおかしみ、それが「業」とよぶにふさわしい性分だと考える。
だから、物語が終盤、「自滅」にむかって動き出したとき、私は少しく鼻白んでしまった。悪い、とは決して言わないが、そこまでタイトルに忠実でなくても良かった。
立川談志師の名言に「落語とは人間の業の肯定である」という。否定より肯定が創造的な場合だって、世の中にはちゃんとある。

(原文・死紺亭柳竹、入力責任・松本温子)

以上が劇評の再録です。だから、死紺亭兄さんは結構仕事人なんだって。世を忍ぶ仮のスガタは落語家ですか。ま、いいや。

劇団てあとろ50'の公式サイトは、こちらです。
http://www.teatro50.net/

それでは、きょうも一日のハジマリだ。東京の早稲田は、曇天模様で、ちょっと気分が冴えないぜ。

そんな貴方の遊び場所はモチロン「過渡期ナイトBBS@暫定版」。当然こちらである。
http://free2.milkypal.net/f-bbs/BA-1/freedom.cgi?mm=k_night&mode=bk

ま、酒井雄二ふうに「スコブルイー」一日にしようぜっ、諸君!!!
また。チャオ☆