『静岡演劇茶話。』

ふぅーー。きょうも元気だ、伊藤園のお茶が美味い。。

それにしても、アレだ。お兄さんは高校生のころは、演劇の人ってどうやって食うんだろう、と思っていたら、自分が思われる側になったぞ。あいたた、た。

そんな感じできょうも仲間の紹介だ。

『Shizuoka 春の芸術祭2005』に、ぼくの友人の演出家が参加します。公式ページは、こちらです。
http://www.spac.or.jp/

ギリシア悲劇から「トロイアの女」を演出するのが鳴海康平さん。彼の「第七劇場」のページは、こちらです。
http://homepage2.nifty.com/nrm/seven/

また「エレクトラ」を演出するのが仲田恭子さん。

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◎「トロイアの女」 5月21日(土) 14:30/17:00

演出:鳴海康平 原作:エウリピデス 出演:第七劇場

舞台芸術公園 屋内ホール「楕円堂」

◎「エレクトラ」  5月28日(土)・29日(日)17:00

演出:仲田恭子 原作:エウリピデス 出演:空間アート協会ひかりメンバー

舞台芸術公園 屋内ホール「楕円堂」

電話予約 静岡芸術劇場チケットセンター ℡054・202・3399

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やっちんこと仲田恭子さんは、演出家コンクール受賞者だ。そのときの死紺亭兄さんのプレスをここに再録しましょう。

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25 劇団『シャユカイ』ご紹介。
●死紺亭柳竹さん(喜劇人)2004年10月4日 21時33分36秒 E-mail: HomePage:http://www.e-mile.com/cgi-bin/view_bbs.cgi?c_id=0684

はい。
ご承知の方も多いかと思いますが、『シャユカイ』の演出家・仲田恭子(なかだ・やすこ)氏が、「利賀村演出家コンクール2004」にて、最優秀演出家賞を受賞されました。

死紺亭柳竹も、早稲田演劇を12年間、見守り続けてきている独りの劇評家として、感慨の深さがありますが、ともすれば90年代初頭のこの地域における演劇の歴史は忘却され勝ちなので、簡単に覚え書きを綴っておきます。

「シャユカイ」は、いちばん当初の表記は「謝愉快」でした。

早稲田演劇の当時の同期のユニット系劇団群は、長塚圭史氏(私の記憶が確かなら「笑うバラ」というユニットが最初期の早稲田における活動のはず)、「サッカリンサーカス」(元の母体は東京大学にあると仄聞します)などです。
所謂サークル劇団ではない”ユニット型演劇”の始まりの一群だった気がします。

当時は使用可能だった「スペース5」(早稲田大学本部キャンパス6号館5階・現在使用不可)での公演もありましたが、やがて中央線沿線の小劇場に進出。
また渋谷の多目的スタジオなど、所謂「劇場」ではない「場所」での公演にも積極的なユニットでした。

それから、役者陣にしても、インディーズ・ミュージシャンとして高名な西村茂樹氏の起用など、ユニット感覚に抜群の冴えを見せていました。

これは90年代に表現活動を始めた人間に共有される感性ですが、バブル経済の破綻とその後の混迷期から過渡期を生き残るのが表現者の倫理として求められていて、そこをサバイバルした強さが「シャユカイ」にはあります。

それが彼女が「シャユカイ」サイトで表明している、「間違っていなかった」という喜びの理由のひとつなのでしょう。こちらです。
http://www1.rocketbbs.com/411/syayukai.html

今後の仲田氏と「シャユカイ」の動向が気になりますが、私がいまのところ最後にフォローしている公演の劇評「死紺亭の眼」を、みなさまのご参考のために再録します。
マイルストーン編集会様のご尽力で過去ログとしてアーカイブされています。)

以下、再録です。

シャユカイ公演『ロマネスクイ2003』
2003.2.8〜2.11 スタジオ赤坂プレイボックス

はじまりの風景にビックリした。普通小劇場では、客入れがあり、お客の歓談がある。そのざわつきを、色々な手法(BGMのヴォリュームを操作するとか客電を落としていくとか)を用いて、レベルが段々とゼロになるふうにもっていって、「劇」がはじまる。だけれども、シャユカイの「劇」はあまりに唐突にはじまった。帰ってきた部屋の電気でも点けるように、舞台の照かりが点き、それは突然にはじまった。それが奇をてらった演出では決してないことに、かえってスゴミを感じた。
ドラマが何を意味するコトバかは知らぬままに、それでもシャユカイの舞台のうえにはドラマはないと肯定的に断言してみたい。なんでだろう。よくある小劇場みたく叫ぶ発声するひとがいないからだろうか。それもそうだろう。だが、もう少しふみこんだ部分で、シャユカイは、日常よりも更に平たく低い場所を探し求めているように想える。
終劇後にくばられる「劇」の物語の詳細に目を通すとビクリとする。そこで語られているストーリーは大変に「劇的」だからだ。だが、舞台上でそれらは再現されてはいない。「劇的」な要素をすべてそいでいった場所にシャユカイのステージがある。
日常ではいつも何かがはじまったり、はじまらなかったりする。それならば、はじまりの風景にビックリするのは、ぼくがあまりに「劇」になれてしまったからだろう。
(原文・死紺亭柳竹、入力責任・松本温子)

以上が再録記事でした。
拙いですが、みなさまの「シャユカイ」理解のご一助になればと思います。
また当方の記憶違いなどは、当然あるかと思いますが、取りあえずのご紹介ですので、掲示板閲読者諸賢の方々、ご寛恕下さいませ。

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以上が当時のプレスだが、この当時と現在だとまたビミョウに情報が異なる。

「仲田」は、いま「なかだ」ではなく「なかた」らしいぜ、とかね。

ま、結局こんな間違い探しの旅の果てに、ワセダの生き字引・死紺亭兄さんの日記は更新されていくのである。諸行無常の響きあり。

それでは、また会いましょう。

過渡期ナイトBBS@暫定版」は、こちらであります!
http://free2.milkypal.net/f-bbs/BA-1/freedom.cgi?mm=k_night&mode=bk